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会議録全文
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5 平成九年六月定例会(平成九年七月一日質問)
・知事の多選禁止の制度化について
[答弁] 知 事 浅野史郎君
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〔四番 秋葉賢也君登壇〕
◆四番(秋葉賢也君) 近代民主主義の原点は、「王は君臨すれども統治せず」という言葉に象徴されますように、それまでの絶対王政を排除し、「権利の章典」を定めて議会制民主主義の礎を築いたイギリスの名誉革命が発端であり、イギリスのみならず、後のアメリカ独立戦争やフランス革命へと伝播していったのは周知のとおりであります。
自来三百年余りを経た今日、かつてウインストン・チャーチルが「民主主義は多くの欠点を持った政冶体制である。しかし、これよりベターな政治体制はまだない。」と述べたように、さまざまな試行錯誤を繰り返しながらも、民主主義はベターなシステムとして着実に進歩してまいりました。
私は、今回、民主主義の健全化を一層推進していかなければならないという観点に立って、民主主義の理念や制度をベターからベストなものにしていくための一方策して、知事初め首長の多選禁止の制度化についてお伺いしたいと思います。
知事の多選禁止の問題には、憲法論、政治論、地方自治論、政治倫理などをめぐって種々の論点があり、既に昭和二十年代の末から選挙のたびに、国会や全国知事会などの場で論議が活発に行われてきたようであります。戦前の官選知事制から、戦後の公選知事制に移行してから三度目の昭和三十年の統一地方選挙において相当数の三選知事が生まれることが見込まれたために、その是非が争点になりました。
国会においては、これまで過去三回にわたって、多選禁止法案が議員提案されてきました。昭和二十九年、知事の三選禁止を内容とする公職選挙法の一部改正法案が緑風会から提案されたのを初め、昭和三十八年の第五回統一地方選挙の前にも世論の注目を集め、選挙後には自民党の有志により知事多選問題懇話会が結成され、再び立法化の動きが出始め、昭和四十二年には、衆議院の自民党有志議員によって四選禁止の法案が提出され、審議されましたが、法規制には全国知事会を初め根強い反対に遭い、いずれも審議未了、廃案となってしまっております。
その後、各政党内や民間団体などでさまざまな議論がなされてまいりましたが、三たび四選禁止法案が提案されたのは、平成七年に入ってからのことであり、参議院地方行政委員会に付託され、提案理由説明が行われましたが、継続審議には至らず、国会閉会に伴い廃案となったことは記憶に新しいところでございます。
ごくごく最近の動向としては、秋田県の寺田新知事がこの六月定例会冒頭の所信表明において、みずから選挙公約として掲げた多選禁止の条例化について、まず四選禁止の誓約書を今議会中に提出することを明らかにし、昨日、具体の内容が公表されました。また、先週の二十日には国の地方分権推進委員会から第二次勧告に盛り込む最終案が示されましたが、この中には首長の多選禁止の法整備が初めて提言されてきております。
これまでの議論や提案理由の中で、一般に多選の弊害として指摘されてきたことを要約しますと、知事が長期間在任していることに伴い、一、知事の強大な権限を同一人物が長期にわたって独占することは、政治の独裁化を招き、民主主義の本質に反するおそれがある。二、知事の個人的なつながりが県庁内外に扶植され、人事が偏向し、行政が側近政治化し、県政が私物化される危険がある。三、行政がマンネリズムに陥り、職員の士気も低下して清新な県政が期待しがたくなる。四、知事と議会の間に一種のなれ合いが生じ、県政においての正常なチェックアンドバランスが保たれなくなるおそれがある。五、府県別の割拠主義に陥りやすく、国全体の見地に立つ施策が行われにくくなるおそれが生ずるなどが挙げられております。これらに対して、そのようなことがあるにしても、選挙で県民が自主的に判断するのであるから、民主主義の原則上差し支えないのではないかという反論に対しては、六つ目として、知事の在任中に事実上の選挙運動が行われる結果、選挙が公正に行われにくく、選挙そのものの基盤が信頼しがたい。七、したがって、新人の交代による人材の発掘が困難となりがちである。また、八として、これらの弊害にかんがみ、アメリカではルーズベルト大統領が四選したのを最後に、一九四七年に三選禁止の憲法改正を行っていることは、広く知られていることであり、更に、現在では五十州のうち七六%に当たる三十八の州では、州知事の多選の無条件又は連続的に行うことを州憲法で禁止しており、そのほとんどは、大統領と同じように二期八年までとし、三選禁止となっております。また、知事だけではなく、州議会議員や州選出の連邦議会議員についても、九〇年にオクラホマ、カリフォルニア、コロラドの三州で初めて立法化されて以来、既に半数以上の州で多選禁止の任期制限を実施しており、最長の州でも十二年までとなっております。ほかにも、ドイツでは大統領の連続しての三選を禁止しているのを初め、メキシコやフィリピンでは再選禁止を定めているなど、こうした動向は民主主義の体験を経た上で出された一つの最良の方法であることの証左と言えましょう。
以上のような多選の弊害が多少なりとも存在すること自体については、多くの人が認めるところではないかと思われますが、その一方で、法律によって多選を禁止することについては、多くの反対意見もございます。その理由として、昭和三十九年に示された全国知事会の見解などを例に引きますと、たとえ多選の弊害が存在するにしても、それに対する選挙民の監視は厳しく、自然淘汰なされている事実を指摘しているほか、一、多選の弊害は抽象的であり、かつ誇張されている。二、多選の点について、知事を市町村長と区別する理由がない。三、多選の弊害は、選挙民の自主判断にゆだねるべきであり、法律でこれを禁ずることは憲法違反の疑いがある。四、多選知事のもとでは行政の長期計画が一貫して遂行でき、すぐれた人物が長期にわたって存在するなど、公選制の利点が強くあらわれる。五、アメリカの大統領や州知事との比較で考えるのは機能、権限から見て適切ではない。六、最終任期の末期には、いわゆるレイム・ダックの弊が生じるなどが挙げられております。中でも、多選禁止反対の最も強い論拠となっているのは、法律による規制は憲法違反の疑いがあるというものであります。
しかしながら、昭和三十九年、衆議院法制局は、多選禁止を立法化しても違憲ではないという見解を示しており、法制局長は次のように述べております。「知事の長期在職に伴い種々の弊害がある場合に、これを阻止する方法として住民のリコールの方法もあるが、その弊害が制度自体に内包していて、制度的、必然的にそういう事態が長期在職に伴ってあり得るという見方が成り立つとすれば、そういう観点からこれを制約することは、地方自治の本旨、原則に沿うゆえんであり、憲法の言う公共の福祉の要請に沿うと考えられる。」としております。
これまで、知事多選禁止の問題のいきさつと是非論について顧みてまいりましたが、次に、私自身二年余りの議員経験を通して、宮城県政や多選首長を抱えるほかの自治体を観察してきた中で、多選の弊害について更に踏み込んで私見を述べてみたいと思います。
以下は、宮城県政を特定するものではなく、あくまでも一般的傾向でありますので御了承願います。
まず第一に、やはり知事や政令指定都市の首長は絶大な権限を持っております。人事権を持つこと、自治体の事業を業者に発注すること、予算編成権を持ち、補助金などを各種の団体に出すこと、許認可権を持つこと、条例議案提出権を持つこと、融資したり監督したり金融機関の得意先になることなど、数え上げれば切りがないほどの権限を首長は持っております。また、このように知事は地方政界において有力な権力者であることから、ほかの首長や議員などの政治家を初め地元の経済界、労働界などに大きな影響力を有していると同時に、一般の選挙においては事前運動は禁止されておりますが、知事の場合には公務として至るところに顔を出す機会が多く、日常の行動、生活すべてが選挙につながっており、落選することなどまずないような仕組みができ上がっているように思われます。しかも、見逃せない点は、当然ながらすべての経費が公費負担すなわち税金で賄われている事実であります。政策をアピールすることは、政治家として欠かせないことですが、現職は職務として県の広報紙や新聞、テレビを利用することができ、選挙の年ともなれば、場合によっては交際費や表彰状の額や件数がふえるケースも少なくないように聞いております。こうした数例をとってみても、現職がいかに有利であり、立候補の自由はあると言っても、泡沫扱いされることを除いては、だれしもが簡単に立候補することはできないのが実情であります。
このような事実上の新規リクルートメントの制約が、政治の新陳代謝や世代交代を阻害し、結果として数多くの無投票当選や現職候補への与野党相乗り選挙の構図を現出させ、政治不信が増幅し、有権者の白けムードは低投票率という悪影響と密接不可分であり、極めて憂慮すべき弊害の源泉になっているのではないでしょうか。
この点について、浅野知事は、新聞各紙に掲載された記事などによりますと、選挙制度にこそ最大の問題点があるとしていらっしゃいます。よっぽどの財力、よっぽどの知名度、よっぽどの度胸、ともかくよっぽどのものを持たないと、そもそも立候補すらできないと指摘し、志を持った普通の人が容易に立候補できる選挙の枠組みが必要だという旨を述べられていることには、私も全く同感であります。
更に、多選による人事の偏向や組織機構の硬直化、マンネリ化も深刻な問題であります。中には、プラスイメージは首長に、マイナスイメージは副知事や助役、幹部職員にというように役割分担を明確にし、首長に忠節を誓う度合いに応じてポストを約束するという暗黙のルールができ上がり、職員も身の安泰を図り、立身出世を夢見るとすれば、忠臣にならざるを得ないという小細工が公然と行われている自冶体もあるやに聞いております。
また、どうすれば首長の顔が輝き、どうすれば渋い顔をするのか心得た人々の中に首長はいるのです。ここに政治行政が、知らず知らずのうちに民主主義の本質から遠ざかっていることに気づかない首長が生まれてくる素地があります。側近政治が行われ、政治の私物化が進んだり、職員の士気が沈滞して汚職や不祥事につながったり、ただもうひたすらに首長が交代するのを待つという状況が見られたり、「殿、御乱心」とささやかれるようになっても、簡単には政権はかわらないという事態が、多選によって生み出されている傾向は否定できません。
これまで幾つかより具体に指摘してまいりました多選による弊害は、どの一つをとっても、私にとっては納得のいくものばかりであります。
七月一日きょう現在、四十七都道府県知事の多選状況を見てみますと、五回がトップで、千葉、富山、長野、大分、宮崎の五人、続いて四回が栃木、愛知、鳥取、長崎の四人となっております。ちなみに政令指定都市では、千葉市の六回が最高となっております。三期十二年で勇退した前島根県知事の恒松氏は、次のように述べております。「多選が長期化したときの最大の問題は、汚職にも通じるよどみが生じ、何事も首長のツルの一声で決まるようになり、その取り巻きも自分の利益を守るために、首長をやめさせないようになる。」と述べております。ほかにも「新しい時代には新しい人を」と言って四選出馬しなかった竹下前広島県知事や、「権不十年」を信念に、二期八年で知事を辞した細川元首相などのように、当時十分な余力を残しながらみずから身を引く知事が少なくない反面、過去には八期途中まで務めた知事が二人、七期務めた知事が一人おります。中でも、知事在職八期三十一年という最長記録を残して亡くなった中西前石川県知事の場合、後援会長が現職の県会議員だったということを聞くに及んで、驚きを禁じ得ない思いを持つのは私一人だけではないでしょう。
冒頭にも触れましたように、私は国会議員や地方議員についても多選を制限していくべきだと考えておりますが、議会議員は大勢の中の一人であり、多様な意見を取りまとめて行動する議決機関の一構成員にすぎないという見地からいたしますと、一概に首長のケースと比較することはできません。しかしながら、首長の地位は明らかに人、物、金を一手に握る自治体唯一の最高権力者であります。これまで述べてまいりました事実や状況を考え合わせますと、私は、知事初め大都市の首長の多選禁止を何よりも優先して制度化していくことを真剣に考えていかなければ、地方自治の進展を妨げることになるという強い危倶の念を抱いております。
そこで、知事にお伺いをいたします。
まず、今議会において二期目の出馬表明をなさった浅野知事は、過去に展開されてきた知事の多選禁止をめぐる是非論と多選の法律での制限について、どのような御見解をお持ちか、お尋ねいたします。
次に、多選の弊害について述べた私の私見に対する御意見、御感想をあわせてお伺いいたします。
加えて、浅野知事御自身は、知事の任期は何選ぐらいまでが適切だとお考えでしょうか。更にはまた、その御判断どおり、身をもって実践される決意でいらっしゃるのかどうか、知事の率直なお答えを期待するものであります。
それでは、今後この多選禁止の制度化を現代日本の地方政治の中でどのように組み込んでいくべきでしょうか。私には長年温めてきた提案がございます。それは、地方議会が条例によって首長の四選を禁ずべきというものであります。以下、その根拠を説明いたします。
まず第一に、法律や条例で多選禁止することは憲法違反ではないかという反論が当然あると思います。
自治省選挙課の見解は、「地方自治法十七条では、長の選挙については公職選挙法の定めによるとしており、現在の公選法には長の多選禁止規定が定められていない。ゆえに公選法に何らの委任規定がない以上、条例で定めることについては公選法に抵触するものと思料される。」といたしております。したがって、多選禁止の条例化は、上位法である公選法を改正し、長の任期について条例への委任規定を加えれば、何ら問題がないものと考えられます。むしろ、私は、秋田県の新知事のように、自治省の見解と対峙するような勇気ある地方議会がどんどんあらわれることも、今の地方自治の状況を考えれば好ましいとさえ思われます。そして、法改正が違憲かどうかについては、既に指摘しましたように、かつて衆議院法制局が示した判断では合憲であり、憲法学者の宮沢俊義氏なども違憲には当たらないとしております。すなわち、知事多選禁止は、憲法十四条の平等原則、十五条の普通選挙の保障、二十二条の職業選択の自由、九十三条第一項の直接選挙権のいずれの条文にも抵触するものではなく、むしろ民主主義の本質に沿うもので、憲法の趣旨に合致するものとして、積極的に評価されております。
第二に、法律ではなく、なぜ条例でこれを禁ずるかという点であります。
過去に国会に提案された三選ないしは四選禁止の法案では、全国画一的に知事の任期を制限しようとするものでした。しかしながら、我が国には三千を超える自治体が存在しており、都道府県を見ても、人口六十万強の鳥取県から一千百万を超える東京都まで存在しており、その統治システムを均質的に論じるには無理があります。例えば、プラトンはその著書「国家」の中で、理想的な自治規模は人口五千人ぐらいであると言い、これはたった一人の演説家の声が聞き取れ、直接政治参加できる適正な人間の数を示したものでした。市長さんが風邪を引いて、ことしの夏祭りにはどうも来られそうにないといったうわさがその日のうちに町じゅうに広まるような小さな自治体では、何といっても住民が直接首長をコントロールすることが可能ですが、宮城県のように人口二百三十万を超え、特定の人を除いては知事など何年もお目にかかったことはないというような大規模自治体では、多選禁止を考えなくては地方自治の本旨の機能が十分果たせなくなることは、これまで申し上げてきたとおりです。その意味で、それぞれの地方がそれぞれの政治風土や状況に応じて、多選禁止の必要性を主体的に判断し、民意に応じて自治体固有の条例によって制度化するのが望ましいのではないでしょうか。また、そうすることによって、知事多選禁止反対の論拠の一つである、知事と市町村長を区別する理由がないという意見も正当性を失うことになります。
第三点目として、なぜ四選かという点であります。
何選をもって多選禁止とすべきかについては、意見対立があろうかと思います。私は、本県のような大規模自治体においては、行政需要も多様化、複雑化していることから、仮に一期目は前任者の施策の継承発展、二期目は自己の政策理念に基づく計画の策定、三期目はその実現、と単純化して考えた場合にも、二期八年では若干短か過ぎる。少なくとも十年、三期十二年ぐらいが妥当ではないかと考えております。また、前述しました多選の弊害の多くが、就任十年目以降に顕在化しているケースが多いことを考え合わせますと、四選禁止が望ましいのではないかと思っております。本来的に、何選をもって多選禁止とするかの判断も、基本的には各地方議会の意思にゆだねるべきではないでしょうか。
以上のような理由から、私は民主主義と地方自治のあり方をより公正に機能させるために、条例化による首長四選禁止を推進すべきだと考えますが、知事の明快なる御見識をお聞かせ願います。
同時に、知事御自身は、みずからを拘束することになる多選禁止について、本県条例によって制定していこうとする御意思や御熱意をお持ちなのかどうか、お伺いいたします。
もし、現行の公選法などとの整合性を図ることは極めて困難だとお考えになっているのであれば、秋田県の新知事のように、まずは県民との信託の中で誓約書や宣誓書のような形で公表するというお考えはないのでしょうか。このハードルに身をもって率先して取り組んでいかれてはどうかと切望いたしますが、いかがでしょうか。
全国の自治体における情報公開の潮流を決定づけた浅野知事の先駆的な取り組みを私は高く評価するものであります。狭い小川の底にある小石が、やがて大河の流れを決めることになるかもしれません。新緑の葉っぱの一滴の滴が永遠にケヤキの大木の枝ぶりを決めることになるかもしれません。どうか知事、この問題を選挙向けのパフォーマンスのレベルとしてお受けとめいただくのではなく、地方分権の推進や民主主義の成熟化の進展を図るという観点から、熟慮いただきたいと強く願うものであります。
民主主義の基本である分権のあり方について参考になるのは、やはりアメリカの分権思想の二つの流れであります。一つは、政府の権力の行使に対する国民の統制が確保されているところでは、権力を積極的に行使すべきであるとして権力の集中を認めており、他方で、彼らは権力を集中する場合には、長期にわたって権力の座に居座らせないよう政権交代の仕組みをつくっております。もう一つは、政治権力の分散と制限が必要であるというものです。三権分立の原則とともに、地域的な分権として各州に自治権を大幅に与える連邦制を、そして時間的な分権として大統領や州知事などの多選禁止を統治システムの中にしっかりと組み込んで、権力が生み出す弊害に対して十分な注意を払っていることは大いに参考になります。日本の地方政府が採用している二元代表制は、まさにアメリカのそれを参考にしてつくられたわけであり、この根底にある思想を再認識し直すべきではないでしょうか。今議会において、宮城県との間で姉妹提携に向けた決議がなされたデラウェア州も例外に漏れず、州憲法によって州知事の多選について一期四年と定め二期八年までとし、その三選を禁じております。
きょう、私は多選禁止の制度化について、その必要性をお訴えさせていただきました。しかし、大変残念なことに、過去の多選禁止の議論の裏には、当時の政治的な思惑が見え隠れしておりました。初期においては、中央政府が地方政府へのコントロールを取り戻したいがために、多選禁止に賛成したり、その後には、保守系多選知事が多く存在したため、多選禁止は身内の首を切ることになるとして与党内から多選禁止反対の声が高まったりいたしました。しかしながら、多選禁止の問題は、中央対地方の発想や政党の党利党略の思惑で是非を論じるならば、必ずやその本質を見失うことになります。多選禁止の問題は、あくまでも民主主義や地方自治のシステム向上の課題として、そして地方政界の政治改革の視点として、更には分権とは何かという観点も含めて、公正にその是非を論ずべき問題であろうと私は信じて疑いません。
「すべての政治権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」と喝破した十九世紀イギリスの歴史家であり、貴族院議員であったジョン・アクトンの言葉は、いまだにその真実を言い当てており、それがゆえに我が宮城県のような大規模自治体においては、知事四選禁止の条例制定化が必要であると確信いたしております。そして、この問題提起が、とりわけ全国の大規模自治体の中で大きな議論を巻き起こす一契機となることを願ってやみません。
最後に、知事にお伺いいたします。
知事は、二期目の出馬に当たり、多選禁止を選挙公約の一つに掲げるお考えをお持ちかどうかお伺いをいたしまして、今回の質問を終わります。御清聴ありがとうございました。
○議長(高橋健輔君) 知事浅野史郎君。
〔知事 浅野史郎君登壇〕
◎知事(浅野史郎君) 秋葉賢也議員の御質問にお答えをいたします。
本日の秋葉議員の御質問は、知事を含む首長−−首長というのは、発音によっては市長と聞こえますので、ここはしゃべり言葉ですから、首長というふうに言わせていただきすが、知事を含む首長の多選禁止の制度化についてのみに絞った大変格調の高い、またいろいろな知識を踏まえた御質問がございましたので、これに対してお答えをしたいというふうに思っております。
まず最初に、首長の多選について、その弊害と、また一方において憲法違反の疑いがあるとして、法律による禁止に反対する意見もあるというような御紹介がございました。そしてまた、過去に展開されてきた多選禁止をめぐるさまざまな是非論、そして多選の法律による制限について御披露がございました。
御指摘がありましたように、多選禁止の理由としては、権限を長期にわたって同じ人物が独占をするということで独裁化というか、そういったことが起こる。そしてまた、具体的には人事などを通じて人事の偏向などによって行政が私物化されるという危険性、そしてまた行政のマンネリズムの弊害等々、多選禁止の理由という多選の問題点ということについての御披露がございました。一方、多選禁止に対する反対という議論もあるわけでございまして、これについては、長期的な計画に基づいて一貫した施策を遂行できる点でありますとか、またよく言われますのは、多選の是非は、選ぶ側の住民の自主的な判断によるべきではないか、こういったような意見は多選禁止反対の理由として挙げられているわけです。そういう意味で、この問題については、是非論がさまざま交錯しているわけでございます。
私といたしましては、多選の弊害として指摘されている事柄、いろいろ今挙げたようなことも含めございますけれども、どうもそれは多選ということによってのみ出てくるのではないのではないかという気がしてならないわけでございます。基本的には、首長、知事を含む首長本人に帰されるべき問題ではなかろうかと、事実長期にわたって首長を務められた方々の中には、すばらしい功績を残された方々がたくさんいらっしゃるわけでございまして、その意味では、多選すべてが弊害を生じるというふうには言い難いだろうと。つまりはその首長本人の問題という部分が大きいのではないかというふうにも考えております。また、先ほど私の意見として秋葉議員引用されましたように、これは選挙制度の問題というか、私が申し上げたのは、制度というよりは、もう少し広い意味で選挙をめぐる実際上の慣習みたいなものも含めた、そういった背景も含めた選挙制度の問題ということで、よっぽどのというのがつく人でないと出られないような状況、これもまた、公正な競争ということを阻むわけですから、結果的にそれは多選ということにつながるかもしれませんが、根っことしては選挙の問題があるのではないかということも考えているわけでございます。また、後からも出てまいりますけれども、多選というふうに言われていますけれども、議員は四選ということで具体的におっしゃっておりますが、この多選禁止をめぐる議論の中で、実ははっきりと何選ということを言われている例は、むしろ少数でありまして、多選禁止、多選禁止は反対ということで、何選ということを言わずして議論されているということもございまして、そもそも何選までを多選と言うのかというのも、実はさまざま議論があるところだろうというふうに思っております。また、もちろんこれは法律論というのもあるわけでございまして、これは憲法違反ではないのかとか、また条例で定めることができるのかということがあることは、先ほど御紹介あったとおりでございます。そういう意味では、多選の是非、そしてまた法律論も含め、現状ではまだまだ議論の余地があるのではないかというふうに認識をしているところでございます。
次に、同じようなことになるわけでございますけれども、今の状況というのは、現職が絶対的に有利な仕組みになっておる。そのことが政治不信などの弊害の源泉になっておる。また、先ほども申し上げましたけれども、首長の多選は人事の偏向、組織機構の硬直化、マンネリを招くという弊害について、大分展開がされました。これについての私自身の意見、感想はというふうなお尋ねでございます。先ほども申し上げましたように、これは首長の問題でありますので、多選かどうかということとは一応別として、トップとしていかにあるべきか、トップとして常にどのように行動すべきかということ、これについて心がけていかなければならないことを、いわば述べられたのではないかというふうにも受けとめておったわけでございます。
私としてはということでございますので、私としての考えを申しますと、これは私自身の知事としてのということになると思いますが、情報公開を積極的に進めたということについて御評価もいただきましたので、そのことについて言えば、透明性の高い県政を実現をして、そして議会の方々はもちろんのこと、住民の方々にチェックをしていただくということを常に頭に置いて行動してきたつもりでございまして、その意味では、いわば一つのシステムとしても御指摘のような弊害が生じないようにということをつくり上げていくということがまず大事ではないか。これは多選を禁止するかどうかというよりも、実は問題は一期目でも起こることでございますから、多選だからどうということではなくて、まさに首長、トップとしていかにあるべきかということの問題に帰される部分が大きいのではないかというふうに考えております。
次に、これは首長というか、私ということだろうと思いますが、知事自身の任期は、何選ぐらいまでが適切なのか、また判断どおり実践する決意はあるのかどうかというお尋ねでございましたので、お答えをしたいと思います。
私自身にかかわることでございますが、現在、私としては知事、いわば一年生ということでございます。ほんの先日、再選への立候補の表明の決意を申し上げたばかりでございますので、いわば任期は何選ぐらいまでかということは、先の先までのことになるわけでございまして、気持ちの上でも、今の時点でちょっと申し上げるような準備はできておりません。そういう意味では、はばかられるところでございます。何度も申し上げておりますけれども、知事に限らず首長でございますが、その果たすべき役割に全力を毎回毎回投入をしていくというのは当然でございます。そしてまた、その首長の職というものは、決して私されるものではない。公のものであって、それは仮にその時期任されたにすぎないということだろうと思います。その意識を持って、自分がその職にふさわしいかどうか。その職を全うできるのかどうかということを常に冷静に、しかも厳しく見詰め続けるということが大事だろうというふうに思っておりまして、またその職を維持することが困難と判断したときには、直ちに退くという決断が求められているのではないかというふうに思っております。確かに、古今東西の例ということを申し上げるまでもございませんけれども、しかし、古今東西の例を見ますと、人の常としては、退くということの方が、実はつくということよりも難しいとおっしゃる方もいるわけでございます。申し上げましたように、私みずから任にあらずと判断した場合には、潔く職を退きたいと決意しながら、この職を務めているところでございます。
次に、多選禁止条例ということで、具体的なお尋ねがございました。民主主義と地方自治のあり方をより公正に機能させるために、条例によって、具体的には首長四選禁止というふうにおっしゃったわけですが、四選禁止を推進すべきと思うがどうかと。また、多選禁止を本県の条例で制定する意思や熱意はどうかというお尋ねでございました。
先ほどまでお答えいたしましたとおり、多選の弊害の問題というのは、仮にあったとして、それを解決をするというために、法律で一律に規制をするというのが望ましいのか、首長みずからの判断と対応によるのが望ましいのかということがあるわけでございますが、今まで申し上げてきたことをもう一度繰り返せば、これは首長みずからの判断と対応によるのが望ましいのではないかというふうに考えております。その意味では、法律によらずして条例での禁止というのも同様だろうというふうに思っております。私は、地域の政治システムのあり方を地域みずからが主体的に決定する、これが分権社会の基本だろうというふうに思っておりますが、こういったことが可能になってこそ、地域はみずからが真に自立の道を歩むことができるということにつながるだろうと思っております。同じ論理を使って、秋葉議員の方はだから多選禁止だということなんですが、私はだからこれは首長みずからの判断ではないのかということで、ちょっと結論が違っております。ただ、ただいま秋葉議員からずっと御指摘があったことは、分権社会のあり方を考えるという意味では大変貴重な私は御提言だろうというふうに思っておりまして、真摯に受けとめさしていただいているわけでございます。
それから、次に条例による多選の禁止ということについては、今現状での自治省見解なんということが明らかにされておりますけれども、公職選挙法などとの整合性を図ることが困難というような議論がされております。
そこで、まずは県民との信託の中で、誓約書、宣誓書の形で公表してはどうかということがありましたし、また二期目の出馬に当たって、私自身が多選禁止ということを選挙公約の一つに掲げる決意はあるのかというお尋ねでございました。
私自身は、今申し上げましたようなことでございますので、誓約書でそれを示すとか、選挙公約でこれを掲げるという対応は、ただいまのところ考えてはおりません。ただし、先ほどもお答え申し上げましたとおり、私自身、退くべきときは潔く退くというのが政治信条でありますので、御理解賜りたいと思います。
以上、申し上げてまいりましたとおり、多選の禁止ということに関して、私の政治信条と言うのもおこがましいわけでございますが、そういったことも交えお答えいたしましたが、大切なことは、組織そのものの活力をどのように維持して組織本来の力を発揮させるかであろうというふうに思っております。組織の活力はトップ、自治体の場合には首長の力量いかんによる面が大きいとしても、その反面多選、これが極端にいった場合に、同じ人物が長い間トップの座を占めるということは、経験則上、弊害を生じるもととなる可能性があること、御指摘があったようなことだろうと思っております。これはもちろん政治の部分だけではなくて、すべての組織に共通の課題ではあるわけでございますが、だからといって一概にトップの在職期間を制度的に制限さえすれば問題が解決するというわけでもないわけでございます。私は、組織の活力を維持し、高めるための人事、人材の育成、権限配分も含めた組織内のシステムをいかにしてつくっていくか、このことが重要であろうと考えているところでございます。
今回、秋葉議員からは多選禁止という切り口から民主主義ということ、そして地方自治のあり方ということまで論及されました。大変貴重な御意見だろうというふうに思っております。その意味で、私の今後の政治活動そして県政運営の際には大いに参考にさせていただきたいと考えているところでございます。
以上でございます。
○議長(高橋健輔君) 四番秋葉賢也君。
◆四番(秋葉賢也君) どうもありがとうございました。
知事の具体的なお考えについては、ある程度予想したことではありますけれども、今の浅野知事の偽ざる心境だと解釈さしていただきたいと思います。
結論が少し異なる部分もあるようでございますけれども、私は確かに知事各人の自覚の問題であることは論をまたないわけでございますが、しかしやはり制度として生み出している弊害ということを重く受けとめた場合に、私はやはり一つの方向性というものをみずからの出処進退というものについて、県民との間で一つの定見といいますか、方向性を打ち出していくというのは、これからの新しい時代にふさわしい取り組みではないのかな、そして、まさにだれあろう浅野知事のような政治スタンスを持った知事であるがゆえにこそふさわしいものだと思うものでもあります。
そこで、二つお伺いをさしていただきたいと思うのですが、知事も指摘しておりますように、今の日本の政治状況で大きな問題の一つになっておりますのは、選挙へのリクルートメントの問題が多分にあるのではないかな。地盤、かばん、看板と言われるように、今の選挙というものには余りにも膨大なお金がかかり過ぎているような気がします。これは知事の答弁でもございましたように、選挙をめぐる慣習の問題なんだという面もあろうかと思いますが、制度から来ている部分も一方であるわけでございまして、そういう意味では、やはり政界、政治の新陳代謝を促して、常にリフレッシュをしていく、こういう観点から、何とか県民にみずからの任期といいますか、職務上のものについての一つの考えというものを打ち出すべきではないかと考えますけれども、いかがでしょうかというのが一点目でございます。
それから、二点目といたしまして、きょう秋田県議会閉会日を迎えるわけですが、きのう寺田新知事が誓約書を発表いたしました。
写しをちょっと読ましていただきますと、「誓約書、私は、同一人の知事が、連続三期を超えて在任することによる多選の弊害を防止し、もって地方自治の一層の進展に寄与することが必要であるとの信条に立ち、この政治信条に従い行動することを県民に誓います。平成九年六月三十日」とあります。
きのうの記者会見の中では、多選の弊害として、人事の硬直化と投票率の低下というものを最も重視した要因として挙げておるわけですけれども、私はこの秋田県の寺田新知事の決断というものを大変高く評価をするものでありまして、こうした流れといいますか、方向性というのは、今まだ小さなさざ波にすぎないかもしれませんけれども、まさに浅野知事を初め第二、第三の同調者がこれに追随することによって大きな波に、そして大きなうねりにしていってほしいなと思うわけであります。
こうした観点から、東北知事会や全国知事会などの場で、ぜひ多選禁止の取り組みといいますか、検討について浅野知事から問題提起をしていただけないかなと思いますが、いかがでしょうか。
知事会では、きょうの論旨の中でも述べましたように、三十年代の後半に一つの意見というのを出しておりますが、その後は調べてみますと、あまり会としての議論というのは行われていないようであります。知事の中には、多選禁止はすべきだという議論も、最近は高まっておりますことから、ぜひ知事にはこうした全国的な場で取り上げていただきたいと思いますが、いかがでありましょうか。二点お伺いしたいと思います。
○議長(高橋健輔君) 知事浅野史郎君。
〔知事 浅野史郎君登壇〕
◎知事(浅野史郎君) 秋葉議員からの再質問にお答えをしたいと思います。
二点でございますが、一点目は、選挙へのリクルートメントの問題ということで、これは直接多選禁止とは関係ございませんが、間接的には関係あるものだというふうに受けとめてお答えをさしていただきたいと思います。
これについては、私も問題意識としては同様のものを持っております。先ほど申し上げましたように、よっぽどのというようなものがないと出られないという状況、制度もございますし、また環境もございます。例えば、一たん職場を離れて選挙に出て、そこにもう戻れないというような、退路を断たなければ出られないという、制度というよりは慣習というか、という問題もございます。また、制度の問題に近い問題としては、選挙費用の問題で、公的な助成の問題、これがなかなか地方選挙のレベルでは受けにくいということがあるわけでございまして、これも特に新人が出るということについての阻害要因にはなってるだろうと思っております。こういうことを一つ一つ挙げていって、それを解決していくことによって、新陳代謝というか、公正な競争の条件ができるということは、私も望ましいことだろうというふうに思っております。これはそういった方向で、いろいろな面での議論が巻き起こり、またそういった方向に進んでいくということを望むものでございます。
二番目に、具体的に寺田秋田県知事の多選せずという、これは御自身の誓約ということでございますけれども、これについてのコメントということでございます。
私も既に新聞記事で承知をしておりましたし、今の秋葉議員からの引用で、そのおっしゃるところというのをよく理解いたしました。それについても、私は、そこで述べられておりました、例えば選挙における投票率の低下というようなこと、これはいわば選挙というか、政治そのものに対する白けというか、不信というものを表明したものだろうというふうに思っておりますが、多分問題はそちらの方だろうというのが私の強い思いでございます。多選禁止ということよりもというか、私の関心事としては、選挙というものが、選挙にかかわる住民の方々の御自身の問題である。自分の問題である。そしてまた自分の頭で考え、自分の足で行動することが選挙の結果にも大いに影響するということを実感できるかどうかということが大変大きいんだろうと思っております。それを寺田知事は、みずから多選禁止という、出ないということをあらかじめ言うことをもって実現しようとされたのではないかというふうに思っておりまして、それも一つの方法だろうというふうには思っておりますが、私としては必ずしも、方法論としては、そういう方法は当面のところとるものではございません。
また知事会での議論でございますが、実はいろいろな形でこのことは議論されております。そこで集まる方々が一般論ではなくて、御自身−−自分も含めているわけですから自身ですね、利害関係者であるわけですので、大変微妙な議論になってまいりまして、なかなかこれは純理屈的ということではない部分が出てまいります。したがって、知事会の中で、堂々たる議論というのは難しい部分もございますけれども、しかし、逆に言うと、大変大きな関心事ではございます。私もそういった場に身を置いたことがございますが、今のおっしゃったこと、十分胸に置きながら対応していきたいと考えております。
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